- 1 なぜ私はネットワークビジネスを辞め、
- 2 新会社を立ち上げたのか
- 3
- 4
- 5
- 6
- 7
- 7.1 問題はネットワークビジネスではなく、教育でした
- 7.2 私が目指したリーダー像
- 7.3 しかし、違和感は消えませんでした
- 7.4 それでも私は結果を出しました
- 7.5 「元マルチの帝王」と呼ばれるようになりました
- 7.6 夢があったから頑張れました
- 7.7 しかし、成功するほど見えてきたものがありました
- 7.8 セミナーへ行け、成功者の真似をしろ
- 7.9 赤字でもセミナーへ来る人たち
- 7.10 タイトルを取っても喜べませんでした
- 7.11 私は「悪魔に魂を売っているのか」と思いました
- 7.12 私は贅沢がしたかったわけではありません
- 7.13 私は自分のセミナーに来るなと言いました
- 7.14 私が本当に守りたかったもの
- 7.15 私自身にも原因はありました
- 7.16 私が許せなかったのは別のことでした
- 7.17 私は「仲間」という言葉が嫌いになりました
- 7.18 家族よりセミナーを優先させる世界
- 7.19 「黙っていてくれ」と言われました
- 7.20 判断基準は正義ではありませんでした
- 7.21 私は無料で教え続けました
- 7.22 ある日、気付いてしまいました
- 7.23 私はもう一度だけ信じてみようと思いました
- 7.24 突然、その日がやってきました
- 7.25 私は以前から決めていました
- 7.26 若い世代へ託そうと思いました
- 7.27 私は一つの答えへたどり着きました
- 7.28 新会社構想が始まりました
- 7.29 私が30年間ずっと実現したかった世界
- 7.30 あなたはどう考えますか?
- 7.31 ▼YouTubeで本人の言葉を聞いてみてください
なぜ私はネットワークビジネスを辞め、
新会社を立ち上げたのか
トップタイトルも、会社での地位も、
全部捨てました。
理由は一つです。
「このままでは、人が幸せになれない」
そう思ったからです

私は前に出るタイプではありませんでした
実は私は、あんまり社長とかやりたくないタイプなんです。
どちらかというと、そういう役割は好きではありませんでした。
ですが、自分が動かなければならない。
そう思う出来事が、この30年間で何度もありました。
今回もそうです。
だから今日は、私自身の総括として、この話をさせていただきます。
30年前、ネットワークビジネスとの出会い
私は約30年前、初めてネットワークビジネスに出会いました。
もっと若い頃にも誘われたことはありました。
ですが、その時は全く興味がありませんでした。
それでも後に、日本でも急成長していたネットワークビジネス企業へ参加することになります。
なぜだったのか。
理由は一つです。
「世界を変えられる。」
本気でそう思ったからです。
当時のネットワークビジネスは、世間から厳しい目で見られていました
当時のネットワークビジネスは、今以上に厳しいイメージがありました。
「ねずみ講」と混同されることも珍しくありませんでした。
私はそんな業界を見て、
「もっとまともな世界に変えられるはずだ。」
そう考えていました。

今いる場所は、
本当にあなたが目指す未来へつながっていますか?

問題はネットワークビジネスではなく、教育でした
問題はネットワークビジネスではなく、教育です。
私は、
「考える力が育っていない人ほど、
都合のいい話を信じてしまう。」そう感じました。
だから私は、
業界を健全化したい。
その思いだけで動き始めました。
私が目指したリーダー像
当時、多くの組織では、
「成功者の真似をしろ。」
そう教えられていました。
ですが私は違いました。
私は、
「あなたが輝くために、私たちがいる。」
そう考えていました。
あなたが赤なら赤に合わせる。
白なら白。
黄色でも緑でも茶色でもいい。
相手に合わせて、その人が一番輝けるよう支える。
そんなリーダーが必要だと思っていました。

しかし、違和感は消えませんでした
それでも私は、
何かがおかしい。
そう感じ続けていました。
どこの会社も、
自分たち以外を悪く言う。
「あそこはダメ。」
「うちは違う。」
そんな話ばかりでした。
私は好きではありませんでした。
化粧品も健康食品も、
本質を見れば大きく変わらないものまで、
他社を否定する。
赤組と白組が争っているようにしか見えませんでした。
それでも私は結果を出しました
もちろん、私は本気で取り組みました。
初月1万円。
翌月20万円。
40万円。
60万円。
70万円。
90万円。
120万円。
そして1年3か月で最高タイトルを獲得。
月収350万円。
半年後には500万円を超えました。
年収は約1億3,000万円。
全国で年間276回セミナーを開催し、
北海道から九州まで飛び回りました。
ブログでも情報発信を続け、
「業界を健全化したい。」
その思いに、多くの方が共感してくださいました。
私は、お金を稼ぎたかったから
ネットワークビジネスを始めたわけではありません。
本気で、
「この業界を変えたい。」
その一心でした。
しかし、成功すればするほど、
理想と現実の大きな差が見えてきます。

「元マルチの帝王」と呼ばれるようになりました
当時は、
「元マルチの帝王」
あるいは
「東の○○、西の垣内」
そんなふうにも呼ばれるようになりました。
全国へ行けば、
「垣内さんですよね。」
電車でも、
たこ焼きを食べていても、
街を歩いていても声を掛けられる。
夜のお店に行っても、
「昨日ビデオ見ました。」
そんなことまで言われるようになりました。
本当に、どこへ行っても顔を知られていました。
夢があったから頑張れました
私はお金だけで走っていたわけではありません。
夢がありました。
本当にこの業界を変えたい。
まともなビジネスにしたい。
その思いだけでした。
だから売上も伸び、
会社のアドバイザリーボードメンバーにも選ばれました。
しかし、成功するほど見えてきたものがありました
ただ、この話には誤解もあります。
私は成功したことを後悔しているわけではありません。
問題は、
成功するほど、
この業界の構造が見えてしまったことでした。
セミナーへ行け、成功者の真似をしろ
毎日のように言われる言葉がありました。
「セミナーへ来い。」
「成功者の真似をしろ。」
「集めたかったら、まず自分が集まれ。」
私自身も、最初はその考え方を信じていました。
ですが、現場では違いました。
赤字でもセミナーへ来る人たち
私は、多くの現実を見ました。
赤字なのに活動を続ける人。
シングルマザー。
生活費を削って参加する人。
ノルマのために大量の商品を買い込む人。
そんな人たちが、本当にたくさんいました。
タイトルを取っても喜べませんでした
ある人が最高タイトルを獲得しました。
周りは拍手でした。
ですが私は、その人にこう言いました。
「喜べない」
「お前のグループで何人が買い込んだんだ。」
「あの人はシングルマザーじゃないのか。」
「これで本当にグループと言えるのか。」
私には、素直に祝福することができませんでした。
成果の裏側で苦しんでいる人を知っていたからです。
私は「悪魔に魂を売っているのか」と思いました
問題は商品ではありません。
問題は人でもありません。
問題は、
人が苦しむ構造です。
私は、
「これでは悪魔に魂を売っているようなものじゃないか。」
そう思いました。
そして初めて、
「辞めたい。」
そう考えるようになりました。
私は贅沢がしたかったわけではありません
私もフェラーリやメルセデス、
アウディなど、欲しい車は買えるだけの収入がありました。
ですが、
そういうことに興味はありませんでした。
苦しんでいる人たちがいる。
その現実の方が、私にはずっと重かったのです。
私は自分のセミナーに来るなと言いました
だから私は、
参加者へこんなことを言っていました。
「私のセミナーへ来るな。」
「遠くから来るな。」
「アフターにも来るな。」
「終電があるなら早く帰れ。」
本末転倒だからです。
家族との時間。
生活。
お金。
それらを犠牲にしてまで活動することを、私は望んでいませんでした。
もちろん、そのことで周囲から怒られることもありました。

私が本当に守りたかったもの
私は、みんなを健康にしたかった。
みんなを幸せにしたかった。
その思いで始めたはずでした。
しかし気付けば、
私は間違った情報によって健康被害を受ける人や、
命を落とす人まで見るようになっていました。
その現実を前に、
私は自分自身へ問い掛けました。
「私は何をしているんだ。」
その答えが、
少しずつ私の中で固まり始めていました。
私は結果を出しました。
お金もありました。
名誉もありました。
ですが、
それ以上に見えてしまったものがありました。
人が苦しむ構造。
事実とは違う健康情報。
そして、
理想と現実の大きなギャップでした。

私自身にも原因はありました
ここで誤解していただきたくないことがあります。
当時、私の妻は私の教え子と浮気をしました。
その教え子は中卒で、多額の借金を抱えていました。
私はかわいそうだと思い、
家へ住まわせ、
食事を用意し、
服まで買い、
年収5,000万円以上になるまで育てました。
その彼と妻が浮気をしていました。
ですが私は、
「全部相手が悪い。」
そうは思っていません。
一番悪かったのは私です。
家庭を顧みなかった私にも原因がありました。
今振り返れば、もっと妻と向き合えていたら違った未来もあったかもしれません。
それは今でも思っています。
私が許せなかったのは別のことでした
ただ、この話には誤解もあります。
私が許せなかったのは、
浮気そのものではありません。
「仲間」と言いながら都合で態度を変える組織でした。
私は「仲間」という言葉が嫌いになりました
私は今でもよく言います。
私は、
「仲間」という言葉が好きではありません。
なぜか。
本当に仲間なら、
困っている人へ買い込みをさせるでしょうか。
やめたいと言っている人を引き止めるでしょうか。
「思えば叶う。」
そんな言葉だけで現実から目を背けさせるでしょうか。
家族よりセミナーを優先させる世界
女性が子どもと十分に過ごせる時間は、
一生の中でも決して長くありません。
男性も同じです。
その限られた時間を犠牲にして、
「セミナーへ来い。」
「勉強しろ。」
「成功者の真似をしろ。」
そう教える。
さらに教えられる内容は、
他社批判や健康に関する誤った情報ばかりでした。
私は心の底から嫌になりました。
「黙っていてくれ」と言われました
そんな時、
私へ言われた言葉があります。
「何も言うな。」
「お前はトップだろ。」
つまり、
組織のために黙っていてほしい。
そういうことでした。
判断基準は正義ではありませんでした
さらに私が嫌だったことがあります。
組織の中では、
「あの人は浮気をしたから悪い。」
そう批判しているリーダーがいました。
ところが、
私の妻と浮気をしていた本人とは仲良くしているのです。
私には意味が分かりませんでした。
悪いなら全員悪い。
許すなら全員許す。
ところが、
組織では、
自分に都合がいいかどうか
それだけで判断が変わっていました。
私は無料で教え続けました
私はエリート研修でも、
リーディングやコミュニケーション、
相談を受ける技術など、
自分が持っているノウハウを無料で教えていました。
毎日のように相談が来ました。
ビジネスだけではありません。
家庭のこと。
仕事のこと。
人生のこと。
私は、
世の中が少しでも良くなればいい。
その思いだけでした。
ある日、気付いてしまいました
ですが、
ある時ふと思ったのです。
「私は悪魔を作っているのかもしれない。」
人を育てているつもりだった。
でも、
その人たちがまた誰かを苦しめる側になってしまう。
そう考えた時、
私はもう限界でした。

私は人を幸せにしたくて始めました。
ですが、
組織が大きくなるほど、
人を苦しめる構造が見えてきました。
「仲間」
という言葉の裏で、
都合によって人が扱われる現実。
その世界から離れることを、
私は決めました。








