はい、皆様いつもお世話になっております。元マルチの帝王、現役IT企業経営者で薬剤師でもある垣内でございます。
本日は、私が歩んでまいりましたネットワークビジネス30年の道のり、
そこで目の当たりにしてきたこと、そして今、心から繋ぎたいと願っている想いを、包み隠さずお話しさせていただこうと思います。
現在ネットワークビジネスに携わっていらっしゃる方、これから始めようとされている方、様々な方がいらっしゃることでしょう。この記事が、皆様にとって何か少しでも考えるきっかけとなりましたら幸いです。

自己責任という言葉、私は本当に好きではありません。
あなたの目の前にいらっしゃる方、パートナー、お子様が笑顔でいること。
これ以上に尊いものがあるでしょうか。
日本の素晴らしさを、皆様に知っていただきたい。そのような想いで、本日はお話しさせていただきます。
第1章:製薬会社時代と挫折、そして独立への序章
1-1. 新人MR時代と長崎への赴任
昔の話になりますが、私は製薬会社に勤務しておりました。
成績が大変悪く、
今で申しますMR、メディカルリプレゼンター(※医薬情報担当者。医師や薬剤師に医薬品の情報を提供する専門職)という職種ですが、営業研修で半年間ずっと眠っておりました。
当然ながら、部長に叱責されたり、部長と衝突したり、そのようなことを繰り返しておりましたら、
気がついた時には長崎の五島列島へ異動となっておりました。
同期の中で最も遠方です。それが、社会人1年目のことでした。半年間の研修を終え、9月にはもう赴任です。何とも言い難い気持ちでございました。
まあ、気分の落ち込む日々でした。
当時、後に結婚することになる彼女、大学時代から交際していた同じ薬学部の後輩がおりましたが、遠距離恋愛は絶対に無理だと考えておりました。なぜかお分かりになりますでしょうか?嫉妬深いからです。
私の電話に出ないだけで浮気を疑うほどの妄想癖がございましたので。私の電話はどんな状況でも取らなければならない、トイレでもお風呂でも絶対に、といった過酷なルールを彼女に強いておりました。そのような私が遠距離恋愛など無理に決まっております。
1-2. 営業トップへの道とパチンコの裏話
いわゆる島流しのような状況だったのですが、
赴任して1年目で営業成績トップになりました。
まず素人ですから何も分かりません。ですから、とにかく数をこなそうと。これはどのようなビジネスでも同じです。数をこなすのです。集客も数です。今でも同じことを教えております。
ただ、トップになったのには裏話がございまして…パチンコを打っていただけなのです。
五島で最も大きな病院の副院長先生がキーパーソンであるという情報を入手しておりました。その先生が普段何をされているのかと申しますと、毎日パチンコを打っていらっしゃるパチンカーだったのです。
そこへ参りまして「先生、お隣よろしいでしょうか?」と座らせていただき、可愛がっていただきました。
「君、何をしてほしいのかね?」となりまして。
私は血圧の薬を扱っておりましたので
「先生、血圧の薬はたくさんございますでしょう?あのようなものは、もうプラセボ(※偽薬。有効成分を含まないが本物の薬のように見えるもの。心理効果で症状が改善することもある)のようなものですよ。私の薬だけが本物ですから、先生、プラセボを切ってください」と申し上げたのです。
無茶苦茶でしょう?そうしましたら先生は笑っていらっしゃいましたが、
冗談だと思っていたら、本当に他社の薬を全て切ってくださったのです。
弊社の薬と武田薬品工業様の薬、この二つ以外全てです。そうしましたら売上が30倍になり日本一です。MVPも獲得しました。まあ、MVPは私がすぐに退職することになったため、引き継いだ者が受賞しましたが。
1-3. 製薬会社での限界と父の病
当時は楽しかったですし、この会社の役員、いえ社長になってやると本気で思っておりました。しかし、なれませんでした。
なぜかと申しますと、ルートがあるのです。サラリーマンで役員になるには、御曹司ルートですとか、創業一族ルートですとか、あるいは外資系企業ですからMBA(※経営学修士。経営幹部候補などが取得する学位)を取得してアメリカに留学し英語が堪能であるとか。まあ、私には少々無理だったのでしょう、今にして思えば。
そのように息巻いておりました時に、ある日実家から連絡がございまして。父、危篤。すぐに帰ってきなさい、と。
慌てて飛行機に乗り帰郷しますと、父が医療事故のような形で透析(※腎臓の機能が低下した際に、機械などで血液を浄化する治療法)を受けることになっており、その透析中の事故で危篤状態だったのです。
脳出血を起こし硬膜下血腫(※頭蓋骨と脳の間にある硬膜の下に出血が起こる状態)で意識不明。もう脳死状態でどうしようもない、と。母はボロボロと泣いておりました。父はまだ52歳でした。
普段でしたら親の言うことなど180度逆のことをするような子供でしたが、母が泣いている姿を見ますと、「心配するな、私が帰ってくるから」と。会社も借金まみれで、法人化してまだ2年ほど。工場も建てたばかりでどうするのか、といった状況ではございましたが。
第2章:バイオベンチャー起業と若き日の成功
2-1. トラック運転手をしながらバイオの世界へ
製薬会社は1年半で退職いたしました。
実家の会社を継ぐために、
トラックの運転手をしながらバイオベンチャー(※バイオテクノロジーを基盤とする新興企業)の会社を立ち上げました。今でこそバイオテクノロジーなど当たり前ですが、当時は誰も知りませんでした。厚生省の事務次官などが私のところへいらして「教えてほしい」などと言ってお茶を飲んでいたほどです。
インターネットで知り合った明治製菓の工場長にも可愛がっていただきまして。「垣内君、このようなものはできないだろうか?」と言われたことを形にしていきました。
2-2. 廃棄物から価値を生み出すビジネスモデル
主要な事業は、酢の醸造過程で出る「酢の素(もろみ)の粕」です。これがゴミとして廃棄されていたものを、父が肥料にしようとしておりましたが、それを私がさらに品質を向上させ、お金をいただいて引き取り処理をし、肥料原料を製造するというビジネスです。
他にも、そうめんつゆなどで使用するカツオの出汁殻。これもすぐに腐敗してゴミになります。焼却するだけでもコストもエネルギーもかかります。環境問題が言われ始めた頃でしたから。私は環境保護の第一人者であると思っております。
「それだけ処理に費用がかかるのでしたら、弊社が安価でやりますよ」と申し上げて、肥料原料を製造したのです。
これがまた、偶然ではございますが「お化けのような肥料」ができまして。ミニトマトが木のように育つのです。プランターでもですよ。
そうしましたら旭化成様が気に入ってくださり、全量買い取ってくださることになりました。
カツオの出汁殻も、当時エルニーニョ現象(※太平洋赤道域の海面水温が平年より高くなる現象。漁獲量に影響する)で魚が獲れず魚粉が高騰しておりました。イワシなどから製造する魚粉と、カツオの出汁殻、成分はほぼ同じなのです。私は化学が専門ですから詳しいのです。こちらは費用をいただきながら製造できます。
往復ビンタで儲かりました。
当時23、4歳で始めまして、25、6歳の頃にはもう年収2500万円ほどあったのではないでしょうか。月収で申しますと108万円などでしたが、家賃も遊興費も全て経費です。車も3台所有。大阪に96平米の高級マンションも購入いたしました。若くして少々調子に乗っておりましたね。
名刺をお渡ししますと「垣内君が社長?」と、若く見られて軽く扱われるのが嫌で、早く老けたい、早く老けたいと思っておりました。今は老化が止まってほしいという心境ですが(笑)。
第3章:ネットワークビジネスとの出会いと幻滅、そして参入
3-1. アムウェイとの最初の出会いと「取るに足りない」という印象
そのような順風満帆な時に、ネットワークビジネスの話が舞い込んできたのです。
最初はアムウェイでございました。
当時ブームで、周囲にも携わっている者が大勢おりましたが、悪い噂ばかりでした。友人に「彼女の誕生日プレゼントを買うのを手伝ってほしい」と言われて家へ行きましたら、アムウェイのデモンストレーションでした。よくある話でしょう。
しかし、その時は知識がございませんでしたから「すごいですね、良いものなのでしょうね」と素直に思いました。そして、サインをいたしました。
そして「すごい人物に会わせる」と言って、アップラインとかいう方が現れまして、優位に立とうとしてくるわけです。「君も私のようになれるよ」などと。
「いくら稼いでいらっしゃるのですか?」と尋ねましたら「月収50万円」。
私はその時、年収2500万円です。高級マンションに住み、車を3台所有していました。
月収50万円の「売上」でしょう?収入ではありません。
「そこから経費を差し引いたら、今の方が良くないですか?」と申し上げましたら、大変嫌な顔をされました。心底がっかりしました。「たった50万円の売上で胸を張っているこの世界は何なのでしょうか。実につまらない」と。
友人には「応援はするから、何でも買ってあげるよ」と言っておきましたが。100万円くらい購入するのはどうということでもありませんでしたから。それが26歳の時です。ネットワークビジネスは取るに足りない、それが私の最初の印象でした。
3-2. プルデンシャル生命と自己啓発セミナー
次に参りましたのが保険です。プルデンシャル生命。「日生のおば様よりこちらの方がまともでしょう」と銀行の方に紹介されまして。
そうしましたらその方に自己啓発セミナーに誘われて参加したのです。まあ、保険業界とネットワークビジネスは自己啓発の温床ですからね。そこで、後の私の師匠となる、まるさんに出会ったのです。
3-3. ニュースキンへの誘いと業界研究
まるさんは「健康のビジネスをされている垣内さん、健康のビジネスに興味はございませんか?」と、薬剤師の方から紹介された方です。
私は独立した時から「環境と健康」この軸だけはぶらさないと決めておりましたから。IT業界にいた時も電子カタログなど環境を守る技術を手掛けておりましたし。「お話をお聞かせいただきたいです」と申し上げてセミナーへ参加しましたら、それがニュースキンの事業説明だったのです。
「してやられた!」と思いましたが(笑)。
まるさんが「私は昔、無職で音楽をしていましたが、今は月収これだけです」と言って通帳を見せてこられました。月600万円ほどあったのではないでしょうか。さすがに「すごいな」と。
業界のドンである藤澤氏にもお会いさせていただき、「このような世界があるのか」と。勉強しようと思い登録し、数ヶ月だけではございましたが勉強に通ったのが始まりです。
その時、ネットワークビジネスのことは何も知りませんでしたから、世界中のネットワークビジネスを片っ端から調べました。何千社という数です。そうしましたら、当時はまだ成長傾向にあったのです。30年少々前のことです。
3-4. ニューウェイズとの出会いと参入の決意
ニュースキンの製品は、薬剤師の私から見ても「ん?」と思うところがありましたし、プランも難しいなと感じておりました。そんな中、ニューウェイズという話が出てきたのです。
調べてみましたら「これが本当ならばすごい」と。製品のコンセプト、謳い文句が。ですね。まあ、実際は嘘だったのですが、当時はそうは思いませんでした。
コンセプトが素晴らしく、プランも改善されておりました。プランにも流行り廃りがありまして、マーケティング的な理論があるのです。ニューウェイズはそこにしっかりと合致しておりました。
「これは、大きなビジネスになる」と直感し、まるさんに「申し訳ありません、こちらをやりたいのです」と申し上げたのです。そうしましたらまるさんは快く「私が教えたことは絶対に通用するから、行きなさい」と。まるさん、昨年お亡くなりになりましたが、本当に私の師匠です。
当時は、製品そのものよりもコンセプトが重要であると考えておりました。コンセプトがしっかりしていれば製品は後から良くなるでしょうし、価格も手頃でしたから「これならば勝負できる」と。科学的な細かいことは納得できないことも多かったのですが、そこは目をつぶりました。
第4章:ニューウェイズでの成功と「帝王」への道
4-1. 「アホばっかり」からの勝算と教育システムの構築
私がニューウェイズで活動した一番の理由は、「アホばっかりだな」と思ったからです。
皆様「会社がすごい、リーダーがすごい、製品がすごい、報酬プランがすごい。だから儲かる」とおっしゃいますが、それと「自分が儲かる」ことがどのように繋がるのか、誰も説明できていませんでした。関係のないプレゼンテーションばかりです。
「これは勝てる」と。6000万円を投じて教育システムを構築し、教育マニュアルだけで当時300万円を費やしました。映像会社も設立し、インターネットでの教育も始めました。「何をやるかではない、誰とやるかだ」というキャッチコピーも私が考案したものです。どこの会社でも良いのです。私たちの体制はこうですよ、と30年前に実践したのです。
4-2. 独自のノウハウと業界への影響
そこから爆発的に拡大しました。動物占いの「お仕事版」も私の会社でプロデュースして出版したものです。それがネットワークビジネスのスタンダードとなり、逆にそこから動物占いが広まりました。
「48時間以内に」ですとか、「7段目と13段目でスターが出る」ですとか、そのようなノウハウも全て私が考案したものです。私が執筆した本はビジネス書部門で4ヶ月ほど1位になりました。本田宗一郎さんなどがいらっしゃる中でですよ。業界で一大ブームを巻き起こしたのです。
4-3. 最年少タイトル総なめと驚異的な実績
ニューウェイズでは、全てのタイトルを世界最年少で獲得しました。まあ、後に抜かれましたが(笑)。28歳で最高タイトルです。その最高タイトルを直接紹介で8系列。最高タイトル保持者を500人ほど育成したのではないでしょうか。会員は何十万人です。
セミナーは年間276回。インターネットだけで117系列。10年間活動して納得できずに退会しましたが。
ネットワークビジネスの1年継続率が4%と言われている中でアクティブ(※活動的な会員)は37系列おりました。
ラリー(※大規模な集会やイベント)は全国5箇所以上。全47都道府県にグループがあり、ほぼ全ての都道府県に最高タイトル保持者がおりました。このような状態は、私だけだったのではないでしょうか。
最大の収入は、1億円プレイヤーを11組輩出したことです。私自身は月収1300万円が最高だったと記憶しております。これがニューウェイズでの私の成績です。
第5章:ニューウェイズからの撤退と業界への警鐘
5-1. 「悪魔を創造している」という感覚と自己啓発への嫌悪
しかし、退会いたしました。様々な理由がございますが、一番は「大変な悪魔を創造している」ようなイメージを抱いたからです。
ネットワークビジネスというのは、最初は「手段」として始めるでしょう。
しかし、いつの間にかそれが「目的」に変わる。
「タイトルを獲得したい」「タイトルを維持したい」と。
ネットワークビジネスには魔物が潜んでいるのです。
私の教え子で、本当に素晴らしい方が自己啓発セミナーに傾倒し、おかしくなっていくのも見てまいりました。自己啓発は思考停止状態に陥ります。ですから私は「参加するのであれば出ていきなさい」と申し上げておりました。
5-2. 会社経営陣との対立と排除
私はニューウェイズの世界最年少ボードメンバーにも選出され、会社側に現場の声を届けておりました。しかし、周囲はアホばかりでした。自分のことしか考えておりません。
「弊社の製品が最高!神の製品!他社はダメ!」と攻撃し、会員には買い込みをさせ、タイトル至上主義。私は「このようなことをしていては、とんでもないことになりますよ」と何度も申し上げておりました。実際、その後、行政処分を受けておりますし。
当時、業界の重鎮でいらっしゃった江頭さん(※江頭俊文さんではなく、江頭トオルさんという方です)と二人だけで会社に苦言を呈しておりましたら、私たち二人は排除されました。イエスマンしか必要ないのでしょうね。
5-3. 業界の健全化への想いと「無色のリーダー」
私はずっと業界の健全化を願っておりました。ネットワークビジネスの良い部分、独立のきっかけになったり、学ぶきっかけになったり、そのような可能性を信じたかったのです。
ですから「私たちは無色のリーダーです」と申し上げておりました。「私を模倣しないでください」と。個性が大切です。リーダーの色に染めるなど、子供に「お父さんの真似をしなさい」と言っているようなものです。おかしくなりますよ。
それなのに、集団が大きくなるにつれて、過去に他社でリーダーをされていたような方々が私のやり方を曲解し、自分の色に染めようとし始めました。もう嫌で仕方がありませんでした。
5-4. 突然の引退宣言とその背景
そして、ある日、2000人ほどが集まったラリーのステージで、突然「退会します」と宣言したのです。誰にも相談しませんでした。相談すれば止められるに決まっておりますから。
私は何億円も投資して仕組みを構築し、社員も雇用し会社も設立し、皆様が活動しやすいように尽力してまいりました。巻き上げるのではなく、投資してきたのです。そこが他のリーダーとは異なるところです。
ですから、通常の方法では退会させてもらえなかったでしょうね。IDも何もかも元妻に譲りました。お金がない時だけ「お小遣いをください」と申しておりましたが(笑)。
第6章:IT企業経営とモデーアへの関与、そして新たな決意
6-1. デジタルマックス設立の経緯
その後、デジタルマックスというIT会社を設立いたしました。これも、村田という人物が私をネットワークビジネスに勧誘しに来た際に、「そのようなことで独立したいのであればおやめなさい。私が独立させてあげます」と申し上げて、一緒に設立した会社なのです。
私は基本的に「これをやりたい、あれをやりたい」というのはなく、人が「これはできないのか?」と言う課題を解決することばかり手掛けてまいりました。そうすれば自然と利益は上がるでしょう?
IT会社も一度倒産しかけ、私が社長に復帰して立て直したりもいたしました。
6-2. モデーアとの出会いと「業界を変えたい」という共鳴
ネットワークビジネスとはかけ離れた生活を送っておりましたが、
田原という、大変素晴らしい人物がおりまして。その方が「垣内さんに教えていただきたい」とずっと申し出てくれていたのです。私は「もうネットワークビジネスはやりません」と断っておりましたが。
そんな時にモデーアの話が参りました。モデーアは、私が退会したニューウェイズを買収した会社です。
経営陣から「帰ってきてほしい」というラブコールが執拗でございました。当時の社長の大井さん(元ニュースキンの上級副社長)が熱心でいらっしゃいました。
断りに行ったつもりが、大井さんが「業界を変えたいのです」「脱ネットワークビジネスをやりたいのです。応援していただけませんか?」とおっしゃったのです。私が目指し、無理だと思っていたことを、会社側がやろうとしている。少々心が動かされました。
しかも、モデーアの理念を拝見しますと、私が自分の会社で掲げていた理念とそっくりだったのです。偶然ですよ。
「この会社と、この社長となら面白いかもしれない」と。ソーシャルリテール(※SNSなどを活用した新しい販売モデル)などという名前だけで、中身はただのネットワークビジネスでしたし、アプリも何もない状態でしたが、「この方となら」と思いスタートいたしました。私が報酬プランも商品もアドバイスさせていただきました。
6-3. モデーアCEOロバート・コンリーの想い
モデーアのCEOのロバート・コンリー氏も、ニュースキン時代に月末になると小さな子供を連れたお母様方がカートを引いて大量に製品を購入していく姿を見て、「これではいけない」と本気で思っていらっしゃったそうです。本当に消費者が広げるC2C(※Consumer to Consumer。消費者間取引)のビジネスをやりたかったのだと。理想論だと思っておりましたが。
6-4. ネットワークビジネスの3つの問題点と自己啓発の害悪
しかし、結局ネットワークビジネスには構造的な問題がございます。
一つ目は「赤字の人で成り立っている」こと。赤字の方がいらっしゃらないと、全員が黒字になることは絶対にない仕組みなのです。そのような仕組みを、ご自分のお子様に勧められますか?
二つ目は「リストがない」こと。人脈作りのために、本来必要のないコストと時間を費やしている。「人狩りビジネス」です。
三つ目は「消費者がいない」こと。どのような素晴らしい製品でも、伝える人のフィルターを通してしか伝わりません。その方が人格者でなければ、良いものも伝わりません。逆に、物が悪くても伝える人が良ければ売れてしまうのです。
このような単純なことに、なぜ気づかないのでしょうか。アメリカでは10年以上前から問題になっておりますのに、日本では未だに気づいていない経営者やネットワーカーがいらっしゃいます。
結局、セミナー費用で儲けているだけなのです。ビジネスで儲けるのではなく、儲けたい人が集まるセミナーでお金を巻き上げている。その最たるものが自己啓発です。
6-5. シングルマザー買い込み事件と「自己責任」という言葉への怒り
昔、私のグループにおりました島村という人物がタイトルを獲得した際、ステージ上で「島村君、私は喜べませんよ」と申し上げたのです。
なぜかと申しますと、シングルマザーの方に買い込みをさせて獲得したタイトルだったからです。コミットメントが大切などと言って。
できなかったら「また先延ばしにするのか」などと追い込んで。
100万円買い込んで200万円になるのであれば良いですが、違うでしょう?その方の家庭環境、生活、全てを見て差し上げなければなりません。必死で何かから抜け出したくていらしている方々を、そのような形で追い込む。

それで「自己責任」ですか?本当に腹が立ちます。ご自分のお子様に「自己責任」と言いますか?親の責任でしょう。それを「私は責任を取りません」と相手に言って、どう思われますか?ネットワークビジネスの方々は皆様「自己責任」で、お金は出さない、奪うだけです。
食事に行っても割り勘。私は割り勘などしたことがございません。そのようなみみっちいのも嫌ですし、儲からないビジネスもしたくありません。挙句の果てに自己責任。
そのくせ「師匠」などと言う。何が師匠ですか。赤字の上に成り立っているではありませんか。
弟子を取るのであれば、食事の責任まで取るのが当たり前です。私が面倒を見た元無職の弟子には2000万円ほど使いましたよ。それが師弟です。弟子からお金を巻き上げるなど、上納金制度と同じです。ヤクザではありませんか。
6-6. 「世の中が悪い」という論調と真のスキル
それを「おかしい」と思わせないために、「世の中が悪い」「常識は非常識、非常識こそ成功」などと言う。馬鹿げています。
10年間ネットワークビジネスに携わって、具体的にどのようなスキルが身についたのですか?私のところでスキルを身につけた方々は、皆様独立して成功しております。100億円の会社を設立した方もおりますし、地域で一番の店になった方もおります。
そのような方々は今でも「垣内さんのおかげです」と連絡をくださいます。自己啓発の世界ではありえないでしょう。他所へ行ったらもう関係ない、などといった具合では。
6-7. 厳しさと愛、そしてネグレクト問題への想い
私は別に金銭的な利益にならなくても構いません。
その方が幸せになるかどうかが重要なのです。
ですから厳しいことも申し上げます。サッカーで全国1位になろうと思ったら、それは厳しい練習をしなければならないでしょう?ビジネスも同じです。動物園の檻の中のライオンで満足するのではなく、サバンナで生き抜かなければなりません。
ですから仕事の話はノウハウで解決できますが、プライベートで困っていらっしゃったら、恋人と別れたとか、借金をしたとか、親御さんが亡くなったとか、そのような時はすぐに時間を作ります。そちらの方が大切なのです。
世の中、ネグレクトや虐待など、悲惨な事件が後を絶ちませんが、私はそのお母様を責めることはできません。私たちがそばにいれば絶対に放ってはおきませんし、お母様がご自宅で稼げる方法をご存知であれば、お子様を笑顔にできれば、多くの問題は解決できると思うのです。
6-8. 女性と子供の未来のために
特に女性の方です。子供の頃からずっと思っておりましたが、女性の方が優秀でしょう。宿題を見せてもらったり、ノートを貸してもらったり、テストの答えを教えてもらったり。なぜ大人になったら男性が優秀であるかのような妄想に陥るのでしょうか?
この日本社会は優秀な女性の方を登用できておりません。働き方がないからです。子供のそばで働くことができ、産休育休も自由に取得でき、時短勤務も可能であれば、どれだけ優秀な人材が活かせるでしょうか。ネットワークビジネスは、そのような本当の幸せを潰している部分もあると思うのです。
私はネットワークビジネスに邁進していた時でさえ、セミナー会場に託児所を設けておりました。お母様が安心して取り組めるように。女性やお子様を大切にしないビジネスなど成立しない、それが私の考え方です。
第7章:メイドインジャパンへのこだわりと新たな挑戦
7-1. これまでの製品開発への関与とモデーアへの失望
私はずっと物作りの人間です。他社の製品開発のアドバイザーやプロデュースも手掛けてまいりました。現在、製品が急増しているネットワークビジネスの会社も、私が裏でアドバイスをしたり開発者を紹介したりして、原価が半額になったりしております。皆様ご存じないから騙されるのです。
ニューウェイズはコンセプトは良かったのですが、内容は伴っておりませんでした。モデーアもそのコンセプトは引き継ぎましたが、価格はニューウェイズよりはるかに高いですし、内容は…まあ、努力されている部分もございますが、おっしゃっていることと実際は異なります。
現場のリーダーが製品セミナーで話していること、全て嘘です。誇大広告どころか嘘です。「あなたがダメだと言っている成分、あなたの製品にも入っていますよ」といった具合です。ご自分でご自分の首を絞めているのです。
健康診断に行くとガンになる?馬鹿げています。健康診断に行くから早期発見できるのでしょう。「人を不幸にするおつもりですか」と申し上げたいです。
私はずっとアドバイスをする側でしたが、自分で手掛けるのは面倒でした。倒産しかけたネットワークビジネスの会社を買収しないかという話もございましたが、お断りいたしました。
しかしモデーアも、私が惚れ込んだ大井さんが引退されてから、もう会社が崩壊していくのが目に見えて分かってまいりました。新製品も何なのでしょうかという感じですし、マーケティングにも愛がありません。もう応援する気も失せました。
7-2. 「ないから自分で作る」―オリジナルブランド立ち上げへ
ですからもう、自分で作ろうと。ニューウェイズやモデーアの製品がなくなったら困りますか?いえ、困りません。私がもっと良いものを作ります。
私は23歳で独立した時から環境と健康に関する仕事しかしておりません。30何年間、専門的に勉強し、医師や薬剤師、プロの研究者と組んで臨床実験も重ねてまいりました。
サプリメントとて、人によって遺伝情報も生活環境も異なりますから、本来は個別最適化しなければなりません。「これを飲んでおけば良い」などということはありえません。
ネットワークビジネスの方々、皆様お肌が荒れていらっしゃるでしょう?会社名は申し上げませんが。成分を知っておりますから「それはそうでしょうね」と思いますが。
皆様が大好きなコンセプト通りの製品を、私は作れます。しかも、皆様が「最高!」と思い込んでいるものは、その辺のスーパーや薬局で購入できるレベルのものばかりです。
外資系企業など特に、利益を上げすぎています。ぼったくりです。私はリモートワークを8年間続けておりますから、コストをかけずに利益率の高い、原価の高い、本当に良いものが作れる自信がございます。
7-3. メイドインジャパンの素晴らしさと日本の心
これまでの私の事業家人生の集大成として、化粧品とサプリメントのメーカーを自分で設立することにいたしました。
ずっとモデーアにも申し上げてまいりましたが、「メイドインジャパンですよ」と。物流コスト、エネルギー問題、環境問題、アメリカの物価高、人件費高騰、為替リスク。どう考えても日本で製造すべきです。日本の技術力は素晴らしいのですから。
アメリカ製の自動車、船、良いと思われたことがございますか?私はございません。品質であれば絶対に日本です。
アメリカの製品はホルマリン(※ホルムアルデヒド水溶液。防腐剤として使われることがある)などが普通に含まれておりますからね。成分表示はしておりませんが。それで「安全」などとはよく言えません。
日本製はこだわりが違います。日本語には「虫の声」という表現がございますでしょう?虫の音にも様々なニュアンスを感じ取れる、そのような細かい感覚を伝える言葉を持った世界唯一の民族なのです。ですから物作りに対するこだわりが違います。人を敬う文化もございます。
7-4. 歴史観と日本の誇り、そして新たな戦い
戦後GHQ(※連合国軍最高司令官総司令部。第二次大戦後、日本を占領統治した機関)の教育で、日本は左翼化してしまいました。メディアもネットワークビジネスもそうです。敵を作り左翼化しております。私はどちらかと言えば保守本流、中立中道。「日本は素晴らしい」と思っております。
先の大戦、いわゆる大東亜戦争は侵略戦争であると世界は思っておりますが、あれは自衛戦争であり、アジア解放戦争でもあったのです。日本が立ち上がる前、アジアのほとんどの国は白人の植民地でした。
パラオなどという国は、スペイン、ドイツ、そして日本の統治を受けましたが、日本の統治下で人口が増え、病院も学校もインフラも整備されました。日本人はパラオの人々を同じ日本人として扱ったのです。植民地という考え方ではありません。
ペリリュー島の戦いでは、中川州男大佐が玉砕覚悟で戦う前に、パラオの住民を島から退避させました。自分たちが盾になるのではなく。これが日本の心です。
特攻隊も靖国も、この国を守るために命を捧げた英霊です。そのような日本の心、人を守る気持ち、愛が、いつの間にか「我が我が」になってしまっております。

タワーマンションに住み高級車に乗り、何が楽しいのでしょうか。あなたの目の前にいらっしゃる方、パートナー、お子様が笑顔でいること以上に尊いものがあるでしょうか。
先人たちが命がけで守ってくださったこの日本が、今バラバラになろうとしております。これは新たな戦いです。愛を持った戦いです。
日本を守るため、そしてこの日本の大切な心を世界に広げるための戦いです。メイドインジャパンの製品と共に、この武士道精神、日本の心を伝えていきたいのです。
おわりに
私は別に右寄りであるとか、そのような話をしているのではありません。同じように共感してくださる方々と、一緒に何かを成し遂げていきたいのです。
考え方が違っても構いません。皆様で手を繋ぎ、皆様が幸せになれる環境を築きたい。それが日本の心でしょう。
この記事をお読みになり、何かお感じになることがございましたら、チャンネル登録でもLINE公式でも結構ですのでご連絡ください。定期的に皆様と直接お話しできる会も設けようと考えております。対話を重視する会社作りをしてまいります。
長くなりましたが、最後までお読みいただき、誠にありがとうございました。またお会いしましょう。
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最後までお読みいただき、誠にありがとうございました。
皆様の未来が、より明るく、希望に満ちたものになることを、心から願っております。
それでは、また次回の記事(動画)でお会いいたしましょう。
垣内でした。ありがとうございました。

ありがとうございました!